トルコ周遊記
このページでは、自分がトルコに旅行したときの事を書いてあります。旅行したルート、観光スポット、写真等を掲載しました。ごゆっくりご覧下さい。
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トルコは長い歴史を持っている国です。トルコを旅行していく上で、この歴史の一端でも知っておくと、より楽しい旅行ができると思います。
アナトリアには、約一万年前から人類が生息し、世界最古の町を形成していたと言われています。 また、青銅器時代になると、トロイが出現しました。
紀元前1800年ごろに製鉄と騎馬に優れたヒッタイト人がアナトリアに進出し、王国を建設しました。 しかし、この国家は紀元前1200年ごろに滅んでしまいます。
ヒッタイト王国が滅ぶと、各地に都市国家が建設され、アナトリアは分裂された状態になりました。
そのような状況下で、キンメル人が当方から進出してきてリディア王国を建設し、西アナトリアを支配しました。 さらにこれを破ってアナトリア全域を制覇したのがペルシア王国です。
しかし、このペルシア王国も、アレキサンダー大王により滅ぼされ、 彼は、各都市国家をペルシアから解放しました。 この時代にギリシア文化が繁栄し、ヘレニズム時代と呼ばれました。
ヘレニズム時代ではベルガモン王国が最大勢力を誇っていたが、ローマ帝国により、併合されました。 この時代はローマ帝国の元でギリシア人都市が栄えることになりました。
ローマ帝王がコンスタンティヌス帝になると、都をビザンチウムに移し、 コンスタンチノープルと改名しました。 ここは、現在のイスタンブールです。そして、彼はキリスト教を国教としました。 しかし、ローマ帝国が東西分裂し、西ローマ帝国が滅びると、 ビザンチン帝国が建国され、アヤソフィアが建設されました。
このビザンチン帝国は遊牧民族であるトルコ族により滅ぼされました。 そして、ルームセルジュク朝が建国されました。この国は首都をコンヤに指定しました。 しかし、この帝国は十字軍により滅ぼされ、さらに、ギリシア人により奪回されて、 再びビザンチン帝国が再建されました。
しばらくすると、モンゴルの勢力により、セルジュクトルコは衰退し、 同じトルコ族のオスマントルコ族が台頭してきました。 ムラト1世はブルサを首都とし、スルタンの号を名乗りました。 この帝国は、第一次世界大戦時にはドイツ側について参戦し、敗戦国となり、 国家分割の危機にさらされることになりました。
ここで、この危機を救ったのがムスタファ・ケマル将軍でした。 彼は、トルコ国民軍を創設し、連合国側と平和条約を締結するまでに至り、 トルコ共和国を誕生させました。 彼は、アタチュルクの称号を得、トルコの尊父として称えられました。 彼は、政教分離をはじめとし、近代化のために多くの改革を行いました。
時差 | 日本より6時間遅れ |
通貨 | トルコリラ(TL)。2000年10月では、1円=6000TL程度 |